「リリーフ」  朝出社して早々、藤次郎は上司の宗像幸子に呼ばれた。  「萩原くん、しばらく城南アートに行ってもらえる?」  「はい…でも何か?」  「…実はね、上杉(景子)さんが火を噴いてて、助けに行って欲しいのよ」 と、幸子は藤次郎にすがる目で言った。藤次郎は行き先表示板から景子の欄を見て、納得 し、  「なるほど。確かにあそこのシステムの設計は私の仕事です」 と、答えた。  「ごめんなさいね」 と、本当にすまなそうに言った。  藤次郎が現場に行くと、プログラム担当の景子は眉間にしわを寄せた形相で、パソコン に向かっていた。  「おい、上杉君。だいぶテンパッテいるな!」 と、笑いながら言いかけたが、本当に景子が大変そうなので、途中から語調が変わった。  「萩原さん…助けてくださいよぅ」  景子は、藤次郎の顔を見るなり、情けない声を出した。  「そんなに、難しい設計をした覚えないぞ」 と、藤次郎が困惑した表情で言うと、  「いや、萩原さんの設計だけなら、そうなんですが…実は」  景子の話によると、客から次々と新しい仕様が追加されて、それがどうも客の気まぐれ な思い付きが多いらしい…  「…それで、苦労しているわけだ…、その追加仕様ってぇのを箇条書きでいいから、ま とめてくれないか?」  「はい」  藤次郎は、上杉がエディタを使用して箇条書きにまとめたテキストファイルを受け取る と、「さぁて…」と言って、持参したノートパソコンにむかった。  藤次郎は、それらを重要度別に分けてまとめた。まとめたものを景子に見せながら、  「ここから、ここまでは確かにお客さんの言う事が正しいから、これは実現しなければ ならない」  「はい」  「ここからは、客の希望だから、考えないといけない」  「はい」  「できるか?」  「うーーん」 と言って景子は考え込んでしまった。  「これから下は、意味がないから俺が断ってくるけど、代案を考えないといけないなぁ …まぁ、それは俺がやる」  「はい」  藤次郎と景子は暫く打ち合わせをして、ある程度の案をまとめると、藤次郎は客先に交 渉に向かった。  一時間後、藤次郎が戻ってくるなり、  「萩原さん、どうでした?」  景子は期待に満ちた目をしていた。藤次郎はさっきのリストを示して、  「とにかく、向こうの頭が固くて苦労した。ここまでは、妥協してもらった。この上は こっちで実現しなければならない…でも、さっきの打ち合わせの内容より簡単になったか ら、できるよな?」  「ハイ!」  景子は明るく返事をした。  お昼になり、  「萩原さん、お礼に今日のお昼はわたしが奢ります」 と、言って景子は藤次郎に食券を渡した。藤次郎は、「そう?」言って食券を貰うと、バ イキング形式のコーナーに行き、とても一人では食べられないと思えるほどの食べ物を取 り始めた。それを見て、景子は仰天し、  「…はっ、萩原さん、萩原さん。やめてください!」 と、慌てて藤次郎を制した。  「はははっ、これぞ、”食券乱用”と言う」 と言って、カラカラと笑った。  「ったく!わたしの給料がどれくらいか知っているでしょうに…それに、いったいこん なに沢山食べられるんですか?」  「別に、一人で食べるわけないさ、お前さんの分もあるよ」  「はい?」  藤次郎は目が点になっている景子に取った食べ物の三分の一を渡し、その足で会計を済 ませた。景子は訳がわからず、そのまま黙ってついてくと、食堂のテーブルに玉珠が座っ ていた。  「…玉珠さん…」  景子は困惑の声を漏らした。  「早かったね。これ上杉君の奢りだって」 と、藤次郎は横目で景子を見ながら玉珠に皿を差し出した。  「あら、ご馳走様」 と、玉珠もわざとらしく言って皿を受け取った。それを見て景子は、  「あーーー、ひどい!」 と、言った。  「でも、なんで玉珠さんがここに?」  景子は席に着くなり、玉珠に聞いた。  「今わたしは、この会社の別のフロアで仕事をしているのよ」  玉珠はしれっとして言った。  「さっきの件で、お客さんがごねたので、応援をしてもらったのさ」 と、藤次郎が言うと、  「…エッ?じゃあ、さっきの交渉は玉珠さんのおかげ?」  「…かもね」 と言って、驚いている景子を尻目に、藤次郎は玉珠を見た。  「あら…わたしは、お客さんに口ぞえをしただけ…提案は、もちろん藤次郎がしたのよ …もっとも、その提案はわたしもしようと思っていたのだけど…ねぇ、藤次郎」 と言って玉珠は、藤次郎に対して妖しい笑みを浮かべた。藤次郎もそれに答えるように微 笑した。  「お玉の仕事は、上杉君のシステムにつながるサーバーのプログラムなんだ。お玉もこ のお客さんには泣かされていたので、協力してもらったのさ」  「ひっ、ひどい!二人してわたしをのけ者にしたのね!」 と言って、景子はテーブルに伏すまねをした。  「でもね、藤次郎が悪役を引き受けてくれたので、お互い助かったのよ」 と、玉珠がとりなすと、景子はパッと起き上がって。  「それも、そうですね。そうと判ったら、食べましょう」  「そうね」  景子の立ち直りが早いのに玉珠と藤次郎は笑って食事を始めた。  藤次郎は帰社して、事の一軒を幸子に報告した。  「あら、早かったのね。もっとかかると思ってたけど…」  「はい、仕事は手早く済ますにつきますから…」 と、藤次郎はわざとらしく言った。  「聞いたわよ、今度のシステムのサーバーは、玉珠さんが担当だそうじゃない。あなた 知ってて一つ返事で引き受けたわね?」 と、言って幸子は妖しい目つきで自分のデスクの前に立っている藤次郎を見上げた。  「はい、ばれましたか」 と、藤次郎はわざとらしく応じた。それを見て、幸子は笑いながら、  「上杉さん、泣いてたわよ。一人だけ蚊帳の外に置かれたって」  「はは…」  藤次郎は苦笑いをした。  「でも、助かったわぁ。あなたのおかげで、向こうに居る二人とも睨まれなくて…」 と言った言葉には、心からのねぎらいの意味が取れた。藤次郎は、その言葉だけで、幸子 の心中を察して、  「悪役や弾除けにはもう慣れました」 と笑って言った。  「ふふ…そうね」  幸子も笑って言った。 藤次郎正秀